縄文人を目指して(!?)

息子と二人でキャンプする…

(2003  6/14〜6/15)




 子供の頃、男の子なら誰しも一度や二度は、虫や魚などに夢中になることがあると思う。その結果、夢の中にまでそれらが出てきて、カブトやクワガタがびっしりと張り付いた大木や、巨大な魚がウヨウヨ群れている川の夢に飛び起きた経験がある人は、きっと数多いに違いない。私も未だにそんな夢を見ることがある。 いつまでも少年の心を失ってないなあと、勝手な自己満足する反面、いつになっても成長が見られない自分自身が情けなくも感じられる。

 
 ところで我が息子のことであるが、「瓜の蔓にはなすびはならぬ」とか「蛙の子は蛙」の通り、このバカ息子は親父の血をそのまま引き継いだのか、現在彼の脳ミソは恐竜と化石一色である。「○○サウルス」とか「××ドン」といったものばかりが、頭いっぱいに渦巻いているようで、なかには「パキケファロ・・・・」なんていう、舌を噛みそうなものまでもが、日常会話の中にまでポンポンと出てくる始末である。


 たしかに親父が「トンビ」だから、なかなか「タカ」は生まれないかもしれないが、このぶんならトンビが『始祖鳥』を生むことになりかねない……。 といってももちろんまだまだ小学校の低学年である。ジュラ紀や白亜紀と、縄文時代や江戸時代が整然と系統だてて理解されているわけではない。 だから彼の頭の中では、ティラノザウルスの化石が縄文時代の遺跡から発見され、そこを発掘すればひょっとしたら小判が出てくるかも知れない、といったことがあり得るのである。まあそんなことはともかく、今はこの手のことに興味津々なのである。


 そんな矢先、ふとガイドマップで見つけたのが、兵庫県養父郡にある『石ヶ堂古代村キャンプ場』である。この地から縄文遺跡が発掘されたのをきっかけに、縄文式住居を再現して、古代人の生活を体験させようという施設である。さっそく電話を入れてみると空いているとのことなので、高床式住居を予約した。
 

 この日は娘が幼稚園の宿泊保育で不在のため、この長男だけを連れてキャンプすることにする。鬼ヨメは3番目の子供の面倒を見るだけでよいので、すごく嬉しそうな顔をしている。どうやら実家の母親を誘って、ゆっくりと近場の温泉に行くことを目論んでいる様子である。「鬼の居ぬ間に洗濯」どころか、鬼ヨメが婿さん子供を放り出して、ゆったりと温泉三昧、といったところか……。


いい感じでしょ!「石ヶ堂古代村」 アユを捕まえた!


 当日は、およそ2時間ドライブして現地に入る。途中のスーパーで食料品を買い込んだが、やはり古代住居に泊まるからには、それにふさわしい食事を用意しなくてはならない。息子がすでに市立図書館から何冊もその手の本を借りてきて知識を仕入れ、あれやこれやと注文するのである。 「縄文人は土器で貝を煮たんだ!」とか、「石器でイモを切って入れたんだよ!」とか、「魚を棒にさして、焼いて食べるんだ!」とか……。「よっしゃ! 父さんに任せとけ。」と言った手前、インスタントラーメンとレトルトカレーでは格好がつかない。そこでそれなりにメニューを考えてみた。


 まず貝類は必須である。もちろんむき身ではいけない。貝殻付きでなければ・・・。ということでハマグリを買う。次に山菜を入れなければならない。誰から聞いたのか、また本当かウソかは知らないが、息子が言うには、山菜の王様はフキだという。これも買った。ただし、調理が面倒くさいので、水炊きしたパック入りである。そして舞茸ネギも買った。 また息子が言うには、冬場は鹿や猪の肉を食っていたということである。これは牛肉で代用した。そして遺跡からはサケやマグロの骨が出てくるとのことなので、マグロの刺身を少々買った。そして長いもも入れることにする。これらを土器で煮るのである。さすがに土器はないので、これだけはキャンプ用の愛用アルミ鍋を使うことにする。


 さて、焼き魚である。アウトドアで串に差して焼く魚といえば、たいがいマスやイワナなどのサケ科の魚と決まっている。だがスーパーでは手に入らなかったのでやめておこうかと思ったが、息子には普段から父さんは釣り名人だと吹聴している手前、魚が無いというのは何よりの屈辱である。考えたあげく、近くの大屋町のあゆ公園に行くことにした。ここはどうやらアユのつかみ取りができるそうである。これなら一石二鳥である。息子は満足するだろうし、食材も手に入る。たとえ養殖物でも今が旬だから、塩焼きにすればいけるんじゃないだろうか?

こんがりと焼けたアユ。 縄文鍋(?) 再現!



 というわけで食材を調達し、調理にかかる。といっても調理なんてものではない。ただ出汁を入れて、なんでもかんでも放り込むだけである。そして火が通ったら豪快にかっ込む……。ただそれだけである。つかみ取りしたアユも塩を振りかけて、強火の遠火でじっくり焼くだけである。なんとシンプルな料理であろうか。縄文料理を再現したつもりであるが、素材の持ち味だけで、結構行けるのだ。 私はといえば、グビグビとビールを空け、子供は勝手にそこら辺に遊ばせといて、気ままに飲んだくれていただけであるが……。梅雨に入ったので、いつ降るともわからないような空模様だったが、今日はテントではない。気楽なもんである。だんだんと夕闇が深まり、縄文人も見つめたであろう山並みを見ながら、酒に酔いしれ、最高の気分に浸る。テレビやパソコンといった文明の利器が全くない生活は、不便かも知れないがシンプルでストレートである。腹一杯食べて思いっきり飲んでしゃべって・・・。 十分に心を洗濯して、高床式住居で眠りについたのであった・・・・。


 翌朝いちご狩りと生野銀山に行った。「いちごの国」では胃袋の限界を超えるまでイチゴをほおばり、生野銀山では山のように積まれた銀の延べ棒を、できることなら一本いただきたいなあと思う頃には、完全に現代人に戻っていた。私の心は、少々の洗濯ぐらいでは、汚れが落ちきってしまうことはないようである。それにしてもめいっぱいイチゴを食ったもんである。うまかったなぁ……。


変わったスタイルのいちご狩り





 

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