同窓会と琵琶湖一周の旅


 十年ぶりに小学校当時の仲間達の同窓会に参加した。5年前にも催されたらしいが、その時は他の用事と重なって参加できなかったので、私としてはまさに一昔前以来の再会である。盆のど真ん中の13日に滋賀県の草津で行われたので、当初飲み会の後は私一人が駅近くのホテルに泊まり、翌日帰宅する予定であったが、あれやこれやという間にまず嫁さんが一緒について行くことになり、そのうち帰省していた長男、部活が盆休みになる次男もついてくることになり、結局は家族5人中の4人が私の同窓会にかこつけて家族旅行をすることになってしまった。大学生の一人はどうしてもバイトを休むことができず、私一人が「はみご」にされたといって、パンパンにふくれっ面をしていたが、まあ何か気の利いた土産でも買ってきたら機嫌もおさまってくれるだろう。

 まずは琵琶湖の竹生島を訪れる。私は2回目だが、嫁さんと長男の強い希望により今津港より船に乗る。そして宝厳寺都久夫須麻神社を参拝する。島全体が強烈なパワースポットで、本当に清々しい気持ちになる。おまけにカワラケ投げも見事に成功し、鳥居のど真ん中を通過していった。その後あちこち立ち寄ったが、私の出身小学校の近くの大野神社にも参拝した。というのは私は小学生のころ、その神社でドングリ拾いをしたことはあるが、それこそ村の鎮守の杜といった名もなき(?)神社であったが、今は名もなきどころか、あの「嵐」の聖地として日本全国からファンが訪れるようである。なんでまたそうなったのかよく知らないが、とりあえず話のタネに行ってみたら、それなりのグッズと店ができており、小学校の時のイメージとは随分変わっていた。なんとなく明るい雰囲気に満ちている、そんな気がした。その後草津駅近くのホテルにチェックインする。

竹生島 宝厳寺

投げたカワラケは、見事あの鳥居を通過した!

大野神社の嵐ダルマ。それぞれの色がある。





 同窓会の会場は草津駅近くのとある居酒屋であった。懐かしい顔が並ぶが、どの顔もまあ昔の面影はあるが、やはり随分と変化している。おそらく街で会っていたら気づかなかったに違いない。まあみんなに言わせたら、最も変わってしまったのは私らしいが・・・。やはり頭髪の進行は、もうどうしようもないレベルに達してしまったようだ。

 
 私は小学校卒業とともにこの地を離れているので、この地に関する思い出はそこで止まってしまっている。おまけにその地は白洲正子が著作の中で「隠れ里」として書き記しているところなので、当時は想像を絶するような山里であった。(自分ではそうは思っていなかったが)。そのため当時の小学校時代の知り合いは、同族や同姓が多く、たいがいは下の名前か愛称で呼び合っていた。「トヨサン」「デメちゃん」はまだしも、「オミチャン」「マッカ」「テッカン」「キューカン」に至ってはいったい何のことやらさっぱり分からないし、今となっては姓も名も全く思い出せない。小学校の頃の顔は、はっきり思い浮かぶのだが。


 そんな懐かしい話に思いっきり花が咲き、外見はともかく心は誰もが小学生に戻った頃、今回紅一点の参加者であったM嬢が酔った勢いもあってか、とんでもないことを言い出した。「小学生の時、わたしKAO君のこと好きだったんよ。」

 同窓会で初恋の人に出会ってどうこう・・・といった話はよく聞くが、どこまでが本当の話かはさておき、まさかこの自分がそういった場面に遭遇するとはまったく予想もしていなかった。実は自分も小学生のころ、その子のことを可愛い女の子だなあとは思ってはいたが、少年期の自分の発達が遅かったためか、その地を小学校卒業とともに離れたためか、それ以上に発展することはなかった。というか、今日の今日までそんな思いを知る由もなかった。
 もしその時にお互い告白していれば、ひょっとしたらガラッと人生が変わっていたかもしれない・・・なんていう、50代のオッサンにはまったく似つかわしくない淡くて甘酸っぱい感慨(笑)に浸っていたのであった。

 だが、それからおよそ半世紀、今やこの女性にはすでにお孫さんもいるそうだ。そのうえ今日は本来、私は一人でホテルに泊まるはずだったのだが、どういうわけか嫁さんとコブが2つ付いてきて家族旅行になってしまっている。あ〜あ、これが現実である。そしてこれが神様の思し召しなんだろう。ホテルの部屋に戻ると、嫁さんはすでに高いびきでぐっすりおやすみであった。

集まった面々。また会いましょう。皆さんお元気で。





 翌日は近江八幡市にある太郎坊宮こと阿賀神社に詣でる。お祀りされているのは 「正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神」とかいう神様で(何度読んでも覚えられない・笑)、天照大神の長男で、勝利と幸福の神様だそうである。まあ詳細はともかく、いかにも巨石信仰そのものといったお社である。巨岩ももちろんだが、そこから見える豊か近江の風景は素晴らしかった。豊かな実りを感じさせる。次に多賀町にある多賀大社を参拝する。ここは伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀るが、これは天照大神のご両親である。ということは先ほどの「正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神」のじいちゃんばあちゃんである。ということで、ここは昔から「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」と言われている。まあ私の長男が伊勢市でお世話になっているので、この際、一族の方々にお礼を述べておこう。

夫婦岩

太郎坊宮の夫婦岩

豊かな湖東平野


多賀大社

秀吉が寄進したという太閤橋



 そして国宝彦根城へ。思えば小学校の遠足以来だが、子供心に大阪城や姫路城に比べたら小っちゃくて地味なイメージを持っていて、その後なぜ国宝に指定され、そして「ひこにゃん」がなぜ人気なのかよくわからなかった。何十年ぶりかで訪れたらまた印象が違うかもしれない、と思って訪ねてみた。

 その日はたいへん暑く、おまけに天守への待ち時間は30分以上であった。城内に入ってもしばらく行列は続き、ムシムシした暑さは何とも耐え難いものがあった。そして傾斜60度を超える階段(これは階段というより梯子である)をのぼり、やっと天守へ辿り着く。天守から見渡す彦根の市街は絶景である。そしてすぐそばには、あの石田三成の居城であった佐和山城跡が見えた。それを見て思ったのだが、彦根城はやはり「城」である。戦いのための設備であって、決して行政のための総合庁舎ではない。使われている石垣や材木といった素材も、神社仏閣等の使いまわしが多く、質実剛健を旨とする「武士」の精神に基づいた要塞である。このあたりが人気がある理由なのかなあと勝手に思いを巡らせ、そして感慨に浸る。

彦根城

彦根城の大掘切

天守閣

ひこにゃん



 今回最後の目的地は賤ヶ岳古戦場である。柴田勝家と羽柴秀吉が織田家の権力争いをしてぶつかった場所であるが、よくもまあこんなしんどい山の中を重い鎧や兜を身にまとって戦ったものだ。私たちはリフトで山頂近くまで登り、てっぺんまでのあと少しを歩いて登っただけだが、それでもゼエゼエ息が切れたのに。山頂は左に琵琶湖、右に余呉湖を望む抜群の景色であり、かつてこの絶景の地で歴史的な戦いが行われたとは思えないほど、爽快な気分になれる場所であった。

賤ヶ岳ロープウェー

賤ヶ岳山頂にある柴田勝家の像



 その後近江今津までの快適な道を走り、福井県の小浜へ抜けて帰宅する。結果として、二日間で琵琶湖を一周したことになる。今回の旅はいろいろあって、結果的には私と嫁さんがダブルの部屋、そして息子2人がそれぞれシングルの部屋で泊まるという、今までの我が家の旅のスタイルとは違ったものであった。もう子供も大学生と高校生なのだから、こういったスタイルもまた新鮮でいいものである。二人とも自分だけの城と自分だけの時間を与えられて、どうやら好き放題、勝手気ままに、伸び伸びと朝まで過ごしていたようだ。帰宅してから娘にその話をしたら、そのことを一番羨ましがっていた。みんな気づかないうちに、成長していたんだなあと改めて実感した。ただ嫁さんと過ごしたダブルの部屋は、バスやトイレとうがすべてガラス張りであったのには、少しばかりとまどってしまった。その部屋で嫁さんは僕が同窓会に行っている間、一人で缶チューハイを何本も空けて、その後ダブルベッドで大の字になって爆睡していらっしゃいました。 
                                               (2016.08.28)



 

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