私のバイク歴

私が乗った名(迷)車の数々


 

     
 高校の終わり頃に原付免許を取得し、滋賀県の草津駅まで通学の手段として50ccのミニバイクに乗っていた。その名はYAMAHA TOWNY。当時はナベサダさんのコマーシャル『いいなあ、これ』 で結構人気があった。その頃はラッタッターのロードパルやパッソルが発売され、好調な売れ行きを見せていたが、その路線の男性向けソフトバイクがTOWNYであった。2速ATでシャフトドライブといった、当時の原付としては珍しい装備をしていた。それなりに良く走ったが、やはり原付は原付、坂道には弱かった。その後大学進学と同時に神戸で使用したが、六甲山の麓の街である神戸では、東西はともかく、南北には使い物にならなかった。


 そこでもうちょっと大きいエンジンのバイクが欲しくなったので中型免許を取得し、経済的な250ccのバイクを購入した。それはSUZUKI GSX250E KATANAというバイクで、当時一世を風靡したGSX1100S KATANAの250判であった。といってもタンク形状と名前だけはよく似ているが、中身は全く似て非なるものであった。

 でも当時は4スト250のスーパースポーツという位置づけだったと思う。2ストのRZが35馬力と別格だったのに対し、4スト250では最高の29馬力だったと記憶している。今思えばなんて非力なバイクだという感じがするが、どうせ通学に使うだけだし、TOWNYより速かったらそれでよい、ぐらいにしか思っていなかった。

      

YAMAHA  TOWNY

SUZUKI GSX250E KATANA

 



     
 ところが神戸には六甲山というバイク乗りにとっては絶好のロケーションがあり、日に日にその魅力にとりつかれていくことになった。ヘタクソなくせに、何キロであのコーナーをぬけたとか、ステップをすったとかすらなかったとか、そんなことを楽しむ毎日であった。そのうち気のあった連中と山陰地方にツーリングなるものに出かけ、旅の魅力に開眼し、淡路島ツーリング、四国一周ソロツーリングを経て、およそ20日間の北海道ツーリングに出かけた。


  GSX250Eは大柄でポジションも楽であり、そこそこの性能と高燃費で、ツーリングには最適であった。そしてこの頃にはスピードとスリル、それとツーリング時の人との出会いと大自然の雄大さに完全にはまってしまい、もうバイクは絶対に無くてはならないものになってしまっていた。

 
通学のために買ったはずなのに、そのバイクのおかげで、講義をさぼって六甲に行ったり、 ツーリングに出かけたりすることになってしまっていた。


 ところでその北海道ツーリングのことだが、根釧原野を全開でとばしていた私(といっても当時の最高速は140キロそこそこしかでなかったが)を、一瞬にして抜き去ったバイクがいた。その背中しか見てはいないが、とても美しい女性だった。そしておまけに抜き去ったその瞬間に、ピースサインをくれた・・・・。そのバイクが本物のKATANAであった。


 あこがれと悔しさがこみあげてきて、このときに私の脳裏には 『限定解除』 という文字が焼き付いてしまったのである。



 神戸に帰ってくるなり、さっそく400ccのバイクに乗り換えた。限定解除に向けて、少しでも重さとパワーになれるためである。乗り換えたのはKAWASAKI Z400GPという、見るからに硬派な感じのバイクだった。角張ったタンクが印象的で、いかにも荒々しい、悪く言えば荒削りなバイクだったが、性能はすばらしかった。なにか自分が強くなったような気持ちになれる、不思議なバイクだった。 これが名車の魅力なのかと、言葉ではなく、バイクから直に伝わってくるものを感じ取った思いがした。


 そしてそれと同時に、明石の試験場通いが始まった。事前審査はすんなり通ったものの、その後が地獄の日々だった。長い時間をかけて予約を取り、そして当日は朝早くから順番をとりに行き、受付後はコースの下見をちょっとさせてもらえるが、それ以外はまたまた長い時間待ち。そしてやっと自分の順番がまわってきて、試験が始まった途端、いきなり検定中止。そして次回の予約取り・・・・・。雨の日も雪の日も予約のとれた日はキャンセルすることなく通い詰めた。5,6回目頃には受かる気などはまったくなく、試験を受けに行くときから、次回の予約のことを考えるようになっていた。


 そして8回目、ついに限定を解除された。免許証の裏にハンコを押されるだけだが、これほど目にしみた物は、かつて見たことが無かったのではなかろうか・・・・。

 当時は『免許界の司法試験』と呼ばれており、8回はまだまだはやい方であったようだ。今でも思うが、金・金・金のこのご時世に、ひとつぐらい理に合わない、金で解決できないものがあってもいいんじゃないかなと思うのは、私だけであろうか?



KAWASAKI  Z400GP

KAWASAKI  GPZ750


    
 ともあれ、なんとか限定を解除した。翌日なじみのバイク屋に出かけたのは言うまでもない。予算の関係で、中古で見つけたのはKAWASAKI GPZ750であった。Z650系の流れを汲む、空冷2バルヴ4気筒である。このエンジンはこれの発展型『F』を最後にいったん消えてしまうが、その後ゼファーとなって復活したようである。

 このバイクはすばらしかった。5万キロ以上乗ったが、荒々しいふけ上がりと乗り安さ、流麗なデザインと過激な性能を合わせ持つ、最高のバイクだった。これで九州へもいったし、一般道ばかりで東北大学の友人を訪ねていったり、会津磐梯山を夜中に越えたり、およそ日本の中で、北海道と沖縄県をのぞけば、このバイクが足を踏み入れてない県は無いのではなかろうか。 今でも程度のいいのがあれば乗りたいほどである。


 その後就職してから、さすがにこのバイクも走行距離が6万キロを超え、あちこちと故障が出てきて、ついに乗り換えることにした。次に乗るバイクはためらうこともなく、GPZ750R NINJAに決めていた。絶対的な性能のすばらしさは折り紙付きなのと、もうKAWASAKI以外は考えられなくなっていた。乗車してすぐに感じたが、やはり空冷Zとは比べ物にならない性能である。高速道路ではこれにかなう物はありえないだろう。また大きなボディのくせにコーナーリングも快適で、どんな状況の道路でも最速のバイクであった。



  しかしこのころから、バイクに対する考えが少しずつ変化してきた。あんまり楽しくないのである。仲間も減った。就職してそれぞれが忙しくなり、結婚してバイクどころでなくなった者もいた。また私にしても車を持ってから、バイクに乗る回数がめっきり減った。だが何よりその楽しくなくなった原因はバイクそのものにあったように思う。つまり性能が良すぎるのである。がんがんとばせば快適なバイクには違いないが、なんで何かに追いつめられたようにとばさねばならないのか?またエンジンにしても、まるでモーターのようにあまりにスムーズに回りすぎるため、血の通った感覚が得られない。やはりバイクは突き詰めれば『鉄の馬』であってほしい。


 そんなこんなで、『北海道・ナナハン・ソロ』という、私が究極の姿として描いていたツーリングをついに実行することにした。時計類を一切はずし、自分が描いていた最高のスタイルの日々を過ごした。そしてバイクを降りた。(なんかナルシストみたい。ああ、恥ずかしい・・・。)



  数年ののち、友達に誘われて、またバイクに乗ることにした。そこでやはり原点に返って探し求めたのはSUZUKI GSX750S KATANAであった。1100ではなく、あくまでも『ナナハン』にこだわっていた。そのバイクはと言うと、まっすぐ走らないくせに曲がらない。加速は悪いうえにブレーキはきかない。ポジションはきついのでツーリングには向かないくせに、ヘアピンは恐い・・・。もう古いバイクなので、優雅にゆったりと日帰りツーリングを楽しんでいた。また自分も既に30歳を越えていた。


KAWASAKI GPZ750R NINJA

SUZUKI GSX750S KATANA

 



    
 そんな矢先、とうとう年貢の納めどきになってしまった。結婚である。そして次の年には長男が生まれた。このとき妻は嫁から母へと変身した。『母は強し』である。鬼嫁と化した妻はバイク禁止令という絶対命令を下した・・・・・・。



 それから5年の歳月が流れた。今、私はHONDA CD90 に乗っている。これはバイクと呼べるようなシロモノではない。しかし、このバイクは忘れていた何かを思い出させてくれた。この相棒とは長いつきあいをしそうな予感がする・・・・・。 




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