ぼたん鍋




 私が住んでいるところから車で少し走ったところに、篠山市というところがある。昔から篠山藩の城下町として栄え、今でもその情緒ある街並みを残す小京都である。周りを山に囲まれ、しっとりとした街並みには  訪れる人も多く、毎年秋には山の実りを味わうイベントが各地で催され、賑わいを見せている。あの有名なデカンショ節もここの生まれとされているし、夏にはデカンショ祭りが盛大に行われている。ここに住む人々は誇り高き人が多く、私のようにあちこちと移り歩いてきた人間にとっては、うらやましく思われるような、『故郷』を感じさせる町である。


 私事でなんだけれど、うちの鬼嫁はここの地元の高校出身で、旧藩校の流れを汲むこの学校には、伝統と勉強しようという意識が感じられた、と言っていた。そんなわけで、私自身には縁もゆかりもないところだが、なんとなく親しみを感じて町中をさまよい歩くことも多い。


 はじめて冬にこの町をさまよったとき、道ばたで思わずぎょっとして足がすくんでしまったことがあった。何と道ばたにイノシシが寝転がっているのだ。それも銃で撃たれて、顔は『無念じゃ。』という表情をして・・・。それが3匹ばかり転がされてあった。やはりショックだった。たしかに一番効果的な宣伝かも知れないが、初めて見る者にとっては、やはりむごたらしい。思わず目をそむけてしまって、立ち去ったのを覚えている。


 それ以来、イノシシを食ったことはない・・・・というほど、デリケートな神経を持ち合わせていれば、もっともっと、職場でも人間関係がスムーズに運ぶのかもしれないが、調理されてしまえば、それはみごとなボタン肉に変わる。皿にまるで肉厚な花びらのように盛りつけられ、ミソ仕立ての鍋でいただく。ミソはこれまた丹波篠山の特産である『黒豆』から作られたものである。冬の代表的な味覚である。そして器はこれまた地元の特産の、立杭焼である。


 どうしても山のものは「くさい」といったイメージがつきまとうが、上等なボタン鍋にはそれは全くない。ミソのにおいで消してしまうのと、冬のイノシシの食性により、臭さは全然感じない。そして体が芯から温まる。のちのちまでぽかぽかとした温かさは、本当、不思議である。ただもっと不思議なのは、ぐつぐつ煮えてる猪肉を口の中にほうりこんでも熱くないのである。牛肉のようにフーフー吹いて食べる必要はない。もちろんやけどもしない。なのに体はあったまる。店の人に言われてみて、ほんまかいな、と思ったがほんまであった。

 嘘だとお思いでしたら、一度篠山までどうぞ。ちなみに丹波の与作と言われている『いわや』というところが囲炉裏を囲んで、情緒がありますよ。そこで丹波の地酒を飲みながら、串に刺してじっくり焼いたアマゴにかじりつく。山の恵みが口一杯に広がります。


 ちなみに『しし肉』の『しし』とは、もともとは『肉』の意味だそうです。だから『猪』という動物の肉を『猪の肉』と書いて、『いのしし』と読むそうです。同様に鹿の肉を『鹿の肉』と書いて、『かのしし』というそうです。今ではいのししと言う言葉しか生き残っていませんけどね。

 



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