悪魔のささやき

釣りバカ誕生
                                               




 小学生の頃、学校から帰るやいなや、私のランドセルはひっくりかえされた亀のごとくに、腹を天井に向けて放り出されていた。そして私はというと、網とバケツを手に、川に向かって走っていた。金勝川という滋賀県にある小さな川で、アカムツやオイカワを追っかけまわし、サワガニやカメを捕まえては遊んだものである。特に鮒や鯉をつかまえたときは、まるで川の中から宝物を見つけたかのように、飛び上がって喜んだものだ。ついには夢の中にまで魚が出てきて、うようよと群れ泳ぐ姿に思わず飛び起きたことは数え切れない。(実はいまだにまだそんな夢を見ることがある。成長してないなあ。)


 ところが高校に進学した頃から30過ぎまで、ぱたっとそういうことと無縁になっていた。人並みに受験勉強に忙しかったのと、ほかにいろいろと刺激的な楽しみがたくさんあったのが原因と思われる。

 ところが1993年のある日のこと、大学時代の同級生から、『山に釣りに行かへんか?』と誘われた。山に魚なんかおるんかいな?と思いながらも、まあ、つきあいも大切かと思いながら同行した。今となって思えば、これが悪魔のささやきであった・・・・。

 

鬱蒼とした原生林。
鳥取と岡山の県境の渓流にて。
釣り人生第1号の岩魚を、ここで釣り上げる。

              





 出かけたところは中国山脈のど真ん中。鬱蒼とした藪の中に入り込み、その中に流れる小さな川に連れて行かれた。道具一式すべて借り物であった。腰まである長靴をはかされ、仕掛けは1メートルもないぐらいの短い釣り糸に、針とおもりがついているだけで、ウキさえついていない。こんなんで釣れるんかいな?と思いながらエサをつけた。これがまた気色悪い。ウジ虫みたいな幼虫を針に刺せということなのでやってはみたが、やっぱり殺生するのには抵抗がある。友人に『あかんたれ。』と言われて、ほな、やったるわいとプチュッと刺してみた。心の中で『ナンマイダブ』と唱えながら。考えてみればガキの頃、ミミズを針に刺して釣っていたのだから、今更こんなところで躊躇することはないのだが、やはりいい気はしなかった。


 沢を登りながら釣っていくのだが、何にも釣れない。水は凍るように冷たいし、顔中、蜘蛛の巣だらけになる。また、手や顔は枝や葉っぱでひっかき傷がたくさんできるし、ついには岩場で足を滑らし、川の中にひっくり返ってしまった。 『なんでこんなことせなあかんねん?』と、ほとほと嫌になってしまった。おまけに立ち上がろうとして手をついたら妙な感触。 見るといかにも気色の悪い、茶色の蛙をつかんでいた・・・。



 『もうやめじゃ。二度とこんなところに来るもんか。』と思っていた矢先、竿を持った手に初めて、生き物の動きが感じられた。反射的にあわせてみると針にかかったので、強引に抜きあげてみた。するとそのピチピチはねる魚は今まで見たこともないものであった。 背中は黒っぽく腹は白地にオレンジ色が鮮やかで、最初はアカハラ(イモリ)が釣れたのかと思ったけど、当然手足はなく、ちゃんとした魚体である。そして全身に白とオレンジの斑点がちりばめられていて、顔はどう猛な面構えをしているくせに、どこかカエルに似たような親しみやすさが感じられた。


 『これなんちゅう魚やねん?』と友人に聞くと、『あほ。これが釣りにきた岩魚や。』と言われてしまった。口も性格も悪い友人である。なんでこんな奴と親しいのか、今だにその理由はわからない。ところで今まで魚釣りと言えばコイ科の魚しか知らず、サケ科の魚が川にいるとは知らなかった。てっきり海の物とばかり思いこんでいた。一応入試では生物を選択したはずなのに、無知まるだしである。受験のために覚えた知識は、なんと実生活に結びつかないことか・・・。それはともかく、これから続く釣り人生の、第1号の岩魚であった。(18センチ程しかなかったけど。)




 あとは気をよくして合計6匹の岩魚を釣ったが、1匹釣るごとに『この魚はなんて美しいのだろう』という想い が強くなっていった。日本の川の最上流部に、ひっそりと誰にも邪魔されずに、川の宝石とも言うべきこの魚は棲んでいる。 こんなに『孤高』という言葉が似つかわしい生き物は他にはいないのでは無かろうか、という思いにかられた。後の私のように、この魚に魅せられ、足繁く渓に通う人が大勢いるということを、このときは全然知らなかった。 今思えばなんて無知、愚鈍、山の神の魚に対する冒涜・・・・。まあ、最初は誰もこんなものでしょう。


 そうこうするうち、自分自身の体の中で、長い間閉ざされていた感覚が蘇ってくるのを自覚しはじめた。 かつて滋賀県の山の中で、崖を飛び降りたり、木によじ登ったりして遊んだ日々が、脳ミソではなく、が覚えていたかのような感覚にとらわれた。 また見渡す限り、自分自身とその装備以外は、人間が手を加えた物は何もない。あるのは手つかずの自然だけである。

 ひょっとしたら脳ミソや体ではなく、DNA自体に刻まれていた記憶が呼び覚まされてきたのかもしれない。 そのような不思議な感覚を味わっていた。 (ああ、なんてキザな表現・・・。我ながら恥ずかしくなってしまう・・・・・。)

 案の定、底なし沼にはまりこむがごとく、この後、渓流釣りにのめり込んだのは言うまでもない。




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